存在した航空隊・ホーム  >  これが彼との最後になるとは
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    これが彼との最後になるとは


しかし これが彼との最後になるとは夢にも思いませんでした。
その日 も例に依って沖縄夜間攻撃が有るため列線には銀河が並び整備員が整備に余念がありませんでした。
天気は上天気、私達は四〇六空の指 揮所から銀河の降爆訓練を見ていました。

編隊に依る緩降下爆撃一機 づつの急降下爆撃等1キロの模擬爆弾の裂く裂する中次々と訓練をしていた。
突風というのか竜巻の小さいのと言うか(つむじかぜ?)が 飛行場に吹き砂ぼこりを避けて顔をそむけている時キーンと
いう異常な爆音と共に銀河が一機突っ込んできて、普通の引き起こしの高度より低く「危ない」と思った
ときは引き起こしていたのだが間に合わず飛行場に激突し模擬爆弾の裂く裂音と同時に火を吹い
て飛びちり、それが又運悪く列線で整備中の銀河にまで火の塊となって落下し、整備中 の銀河,
逃げ遅れた整備員等にも大分被害がでました。

ガソリンをかぶって燃えている動かない整備兵、燃えながら地上を転げまわってい る兵隊、何も出来ず
唯見ている私達、消防車がきても残っている飛行機に火がうつらない様にするのが精一杯で
とても兵隊に迄は手が回ら ない様でした。

まだ機銃弾とか爆弾を積んでいなかったのは幸いで した。当時井上(旧田上)梅郎君もK405にいて
この事故を目撃したそうですが、彼が見たのは引き起こして機首が上を向きかかった時に突風で尾翼が
あふられて降下姿勢の様な格好となりそのまま突っ込 んだと言っていました。
−−これは後日(戦後)井上君から直接きき ました。
事故機に藤井一飛曹が乗っていたと聞いたときの驚き。暫くはとても信じられませんでしたが、同年兵は
遺体を収容すべしと言われ飛行機の胴体部分の転がっている所へトラックに乗って行ったのだが
悲惨とか無惨とか言う様なものでなく本当に言葉も有りませんでした。

軍隊がどの様に人命を軽視したと言っても死体は怪我してい る所は包帯で巻き一応外見は人の形を
していましたがこの時の現場というものは其の様なものではなく、どれが誰の肉体なのか?
誰がどの計器類にめり込んでいるのか?
骨のかけらが誰なのか?
肉片は計器類 破れた機体の間から挽肉というか何というか押し出されていてとても 言い現わされない様な
惨状でした、それを手で引っ張り出したりあるいはちぎって近くで燃やしている鉄板に投げ込み
又は計器毎火葬にし ました。
攻撃に行って体当り、或は自爆をしてもこの様になるのだろうけれど艦に突っ込み或は海に突っ込ん
でも死体は誰も見ないのだから生前の姿だけが面影に残るのに
・・・事故死だけはするものでないとつくづく思いました。 今の交通事故死も同じだとおもう。

翌日海軍葬が格納庫であり、それからすぐ762空付となり移動した 移動といっても同じ基地内で
兵舎を変わっただけでした。                         
K406にいたのは10日か14日間位でしたが762空はそれ以上に忙しく本当に第一線部
隊でした。
終わり




  






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