存在した航空隊・ホーム

 存在した航空隊

   この記録「存在した航空隊」は、親父が書き残した遺稿です。
 存命中に公開したかったようだが、篤志に従い、ここに公開させていただくものです。

 記述内容は、原稿をそのまま掲示しています。とくに、下記の事柄についてはご承知願います。

  ・漢字,年号,数字,「てにをは」の表記は、原稿をそのまま表記しています。
  ・「事実公証」は出来ないので、不詳部分については前後の状況により判断願います。


・台湾沖航空戦

   (1) 宮城県松島海軍航空隊附となり、昭和19年10月7日頃着任(松島)
   (2) 三番機として松島、鹿屋、台北と飛び(松島→鹿屋→台北→フィリッピン)
   (3) クラークフィールドの飛行場が見えて(フィリッピン)
   (4) 出撃準備
   (5) 魚雷を見せて欲しかった
   (6) 誘導路を滑走路へと
   (7) 帰りは単機で基地へ、そして・・・
   (8) 陸地はすぐ近くに見え
   (9) 台湾から沖縄へ
   (10) 沖縄から内地へ
   (11) 現実はそんな感傷にふける間もなく



大日本帝国海軍航空隊 陸上攻撃機・陸上爆撃機「中攻」 航跡

昭和20年6月5日沖縄戦に762空の銀河2機夜間攻撃に発進

しかし これが彼との最後になるとは夢にも思いませんでした。

何故 戦をしたのか?

友の殉職

終戦の頃






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  ・戦争を語り継ごう

































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