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何故 戦をしたのか?
開戦時から終戦迄に日本が建造した戦闘艦艇は戦艦二(大和、武蔵) 空母一六、重巡〇、軽巡五、駆逐艦六三、潜水艦一一八、計二〇四隻である。 搭乗員の養成状況は・・開戦前日本海軍は年間二五〇〇人の搭乗員を養成する計画であった。 昭和17年に二千三百人、18年に二千九百人を養成したが、18年末までに熟練搭乗員を 約五千人戦死させてしまった。 戦闘参加前の飛行時間にしても開戦時の搭乗員は平均約七百時間であったが 昭和19年後半からは100時間たらずで戦場に投入するという状況となった。 航空機生産力 日本 米国 昭和17年・・約 一千機 四万八千機 米国が日本の 〃 18年・・約 八千機 八万五千機 10倍以上である。 〃 19年・・約一万二千機 十万機以上 開戦時の日本海軍の航空機数は二千二百機、搭乗員五千五百名 米海軍は五千三百機だった 日本陸軍は四千八百二十機 米陸軍は一万二千三百機である。 −−−−−−昔から武人或は軍人の本分は負ける戦はやらない事 ・・これが基本であるのに何故戦をしたのか?−−−−−−−− 井上成美大將が誰よりも対米不戦を強く主張し戦争の見通しを 「日本が米国を破り屈服させることは不可能である。 理由は極めて簡単明白、米国本土はきはめて広大なので、国土全体或は首都の攻撃 攻略も、大兵力の作戦、軍の煽滅も米本土の封鎖も不可能だからである。 ・・・米国は日本本土を封鎖して物資欠乏にみちびくことも可能である。」 と・・・・・ 終わり。 |
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