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(2) 三番機として松島、鹿屋、台北と飛び(松島→鹿屋→台北→フィリッピン)


 階級が下であっても経験の豊かな操縦員が結局は責任を負うことになり、三番機として松島、鹿屋、台北と飛び、翌日の夕方 フィリッピンのクラーク飛行場に着陸した。鹿屋を離陸してからの対空哨戒7.7粍(ミリメートル)銃座に座って上下左側を警戒する。

 訓練では5分か10分位で交代するのだが、一人で銃座に座って単調な爆音を聞きながら、現れてはこまる敵機を見付ける緊張感。それも5分や10分ではなく2時間も3時間も。眠くなるのを我慢し顔をたたいたり足をつねったりして警戒する。

 目的地が見えて味方の制空権下になるとホッとして銃座を離れるのだが、その後がまた一仕事。改良型の九六式陸攻は電動装置になっていたとのことであるが、私が乗ったのは旧型機で離陸着陸の時は人力で脚をあげたり降ろしたりするので大変であった。それも松島空を離陸して飛行機の中で教えられる始末。

 胴体の主翼の付け根附近にあるハンドルを立てて安全装置を解除すると風圧でものすごい勢いで脚と車輪が後方へ押し上げられる。ハンドルは危険で持っては居れない。約45度位になると風圧と車輪の重量とが相殺されてハンドルの回転が止まるのでそれからハンドルを廻して脚をあげるのだが、風圧の助けを借りる間は楽だが風圧を受けなくなり車輪の重さだけになると全力でハンドルを廻さなければ上がらない。

 安全装置をかけるのに、もう少しとなってからが大変である。脚を出すときはこれと反対に風圧にさからって出していくのだからこれも大変であった。それも離陸の時は編隊を組む前に、着陸のときは飛行場の上空に達する迄にしなくてはならず、早くてもおそくても特に着陸時はいけないとのことであった。又これは一番若い搭乗員の仕事でもあった。また此の他にも他の搭乗員の身の廻りの世話、弁当、航空増加食の受領等もあった。

 台北迄は割と楽な飛行であったが台北を離陸してからは編隊も密集隊形となり洋上に出てからは機銃の試射も行う。搭乗整備員に教えてもらい試射するのだが、練習部隊で教わった事と大分違う。飛行機の中で腹ばいになってかまえても瞬時に目の前を飛び去る敵機にはとても対応は出来ない。
座って腰に銃を構える様な格好で、相手の飛行機の射線がこちらに向いていない時は前を撃つ。射線が向いてる時はエンジンを撃てと教えられる。

 フィリッピンの陸地が見えホッとしていたら、「戦闘配置につけ」のブザーが鳴る。何が何だか分らないままに銃座について一番機を見ると、隊形が一段と密になり相手の翼とこちらの翼とが重なり合う様になって、今にもぶつかりそうな隊形で飛んでいる。しばらく見ていたが、ハッと我に返り銃座から外を見るが異常はない。右側の銃座に座っていた搭乗員が下を指すので見ると、船団が航跡を白く立てながら12〜3隻走っているが撃ち上げては来ない、味方機と分ったのだろうか。

 こちらも配置解除のブザーが鳴ってホッとするが飛行機はそのままの隊形で高度を下げ船の上で両手をさかんに振っている人にバンクをしながら徐々に高度をあげて行く。「頑張れよ」と心の内で呼びながら武運長久を祈る。









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