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(3) クラークフィールドの飛行場が見えて(フィリッピン)



 クラークフィールドの飛行場が見えて驚いた事は、その滑走路の長くて広いことであった。内地の飛行場の様に端の方に着陸しないとハミ出すと云うのではなく、どこに着陸しても十分余裕のある広さであった。今では当たり前の広さ長さであろうがプロペラ機には長くて着陸しやすい場であった。確か滑走路の長さは四千米(メートル)だったと思う。

 何もかもが始めてで、実戦に参加するのも4時間も5時間も飛行機に乗るのも。また一番おどろいたのは、その時に支給された夕食が缶詰の五目飯であったこと。缶を押すとポコポコと音がして空気の入った缶詰めの様で気持ちが悪かったが、御飯の缶詰めは炊く為に音がする当然で音のしないのは腐っていると聞き安心はした様だが缶切りも無く、どうやって食べたかは記憶にない。

 その晩、翌朝の黎明攻撃を命じられ、あわてて電信機の調整をお願いし、また応急修理の方法とか真空管の交換法等を教えてもらう。また操縦員から機内の整理を云われ、不要なもの、私物(別に有りもしなかったが、寒い松島空から暑い比島に来たので冬の飛行服を夏用のに替えていたので、それ等)を降ろす。

 そして、機内を整理していると救命艇が積んであるのに気付き、そのままにするか降ろすべきかに迷い操縦員に尋ねたら、そのままにしておけとのことであった。後に、これが役に立つなんて考えてもいなかったのだが、積んでおいたので命を永らえる事が出来た。機長(予備学生)と操縦員が敵情の説明を受けて帰って来て、「戦果は拡大しつつあり、敵は壊滅状態にある」と聞かされ、自分がもう参加して戦果をあげた様な気になってしまう。

 整備される愛機の翼の下で車座になって夫々から注意事項、役割、任務分担等を話し合う。その時の私の責任は見張り、戦果確認、食事の準備であった。特に辨当(弁当)と航空増加食(菓子果物類ビタミン剤等)は必ず必要以上に余分に貰ってくることを強く言われた。訳の分らぬままに何とか余分に貰ってくると、それを半分にわけて整備してくれている兵隊に半分はあげて十分以上の整備点検をお願いする。

 皆の前で半分に分けて、好きな方を整備員にとらせて、「生きるも死ぬも整備員の腕にかかっている」なんて云うもんだから整備員も一生懸命にやってくれる。こちらは唯感心して眺めているばかりである。魚雷、機銃弾のことを尋ねてもそれ等は夫々が責任を持って整備してくれるのだから、丁度電信機を整備してくれた様に心配はいらない。

 飛行機乗りは敵艦を沈めることだけを考えれば良いと云われる。またその時、戦果確認の方法を聞かれるが全然分らない。火柱が立てば沈むのだろう位に考えていたが魚雷は水面下に当たるので、火柱より水柱が立つとの事であった。

 また艦から撃ち上げる大砲の弾の落下してあげる水柱、飛行機が墜落してあげる水柱、爆撃機による爆弾があげる水柱等の見分け方なんて全然分らない。結局、皆で戦果は確認しようと云うことになった。指揮所に戻って、仮眠する。





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