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(7) 帰りは単機で基地へ、そして・・・


 帰りは単機で基地へ向かう。後は敵の夜間戦闘機を見張るだけである。と云っても、これがまた大変で、上・下・左・右・前・後と円を見張らなければならない。ホッと一息ついてからの緊張は、そう長く続くものでもなく、つい見張りもおろそかになりがちである。

 基地クラークフィールドを飛び立ってから、もう4時間以上である。疲れたと云うのかキツイと云うのか、もう体はフラフラ。だけど、未だ敵の制空圏内の様である。飛行機が、今何処を飛んでいるのかわっぱり分らない。陸地へ向かって飛んでいるのだろうけれど、兎に角、燃料のあるうちに地上に着かなければ駄目なのだ。機長の偵察員も一生懸命だろうが陸地も何も見えない。

 海面は暗く陸地も灯下管制しているから灯りは見えない。水平線に突起物があれば、それが陸地である。見張りより段々とそちらに気が向いて前の方ばかりを見る。どれ位飛んだろうか、突然、水平線が一部盛り上がり段々と大きくなって来た。陸地だ。もう大丈夫、飛行場がわからない時は、海岸線に不時着しても良いと思うと安心感で思わず顔が緩むようだ。

 警戒態勢を解き、電信機の前で着陸にそなえて、暗号書・水晶発振器・レシーバー等を片付け様としていたら、突然、操縦員が安心も有ったのだろうか或いは気合を入れる積もりだったのか。「今から雷撃?襲撃?訓練をする。部署につけ」と云い、高度を下げ始め出した。大型機だから急降下は出来ないものの、角度を取って降下を始めると座っている者は良いが、立って部所につく者は大変だ。足を着けようとした所に床はなく、前のめりになって転びそうになるし、揺れている小船の中を歩く様になる。

 高度を下げ偵察員の「ヨーソロ」と副操縦員の高度計目盛り、機速を云う声が先刻の戦場とは嘘の様に良く聞こえる。油断と云うのか、こちらの見張りも唯海面を眺めているだけ塔整も唯座っているだけの様だった。突然、曳航弾の火線と機体に弾着の炸裂音と同時に機銃音、ハッと思った時はもう塔整員は血まみれになっていて動かない。事の重大さを理解する間もなく左エンジンは火を噴いて、機はそのまま尾翼の方からしぶきをあげて海の上を走って行く。

 呆然自失と云うのか、兎に角こんな事は予科練ででも飛練ででも習ってはいなかったし教えてもくれなかった。目の前、手の届く所に今迄一緒に居た搭整の血まみれの死体。今考えれば即死だったのだろうが、どうすれば良いのだ。頭のまとまらないうちに飛行機の行き先は止まったらしく、今度は尾翼の方から、海水が何もかも一緒にドッと押し寄せて来た。固定していない浮く物は全部一緒に。

 とんでもない、飛行機から水が湧くなんて、それも海水が。もう撃ち落されたことも、目の前に戦死者が居ることも忘れ水の来ない方、機首のの方へ逃げるのが精一杯であった。その時、押し寄せて来た荷物の中の大きいのを一つ自分でも知らないうちに引っ張って電信機の前を通る時は飛行鞄を持って(これはハッキリと憶えている)機の外へ翼の上へ脱出した。荷物の大きいのはおそらく戦友の手を引っ張って来たつもりではなかったのだろうか。飛行機も燃料の残りが少なくてタンクが空だったのかしばらくは浮いていた。

 誰かが救命筏をふくらませと言ったのだろうが誰が持っているのか分らない。偵察の機長も初陣なのでおそらく操縦員のどちらかであろう、いきなり私の引っ張って来た荷物を奪い取ると海の中に放り込み自分も飛び込んで、飛行機から10米(メートル)位はなれた所で荷物を解き始めました。何とそれが救命筏だったのです。出撃のとき、荷物を整理した時、操縦員がそのままにしておけと云って積んでいたのが役に立とうとは。

 残りの4人で泳いでいって筏を拡げ手押しの空気入れ(今のゴムボートに空気を入れる様な)で空気を入れて、浮いてから後は一人が乗り込んで空気を入れ十分に空気が入った頃に、皆乗り込みました。浮き輪でなく、底にも幌布がしいてあるレッキとした救命筏で信号弾と食料が乗っていたようです。飛行鞄は翼の上に置いたままだったので、飛行機と一緒に沈んだでしょう。暗号書には浮かない様に背表紙には重い鉛がついていましたから。






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